【女鹿の金蔵父子と建網】
飽海郡旧吹浦村女鹿は秋田県境北端の部落で、あまはげの奇習で知られているが、この村内の松葉寺に菅原金蔵記念碑がある。金蔵は若年の頃北海道胆振国虻田で建網を研究し、安政2年(1855)女鹿で試み好成績をあげた。
「近隣教エヲ請ウ者甚ダ多シ北越(新潟北部)ノ漁邑亦及ヲ期ス・・・」と碑文にある。また山形県史漁業編定置漁業の頃に、米子(鶴岡市(旧温海町))では明治13年女鹿の喜助を指導者として招き、翌年建網を操業したとある。金蔵・喜助・善蔵三代は明治初期の建網草創に功績があったことを、この碑文が物語っている。
※(出羽の海庄内浜「漁業史よもやま話」西長秀雄氏著より)